山が好きだ。

眺めるのも、登るのも。

私は子どものことから自然の中で遊ぶことが好きだったが、本格的に登山を始めたのは大人になってから。

今回は、愛しき山々への想いを綴っていきます。

なぜ、人は山に登るのか。

「そこに、山があるから」

この有名な言葉を言ったのは、イギリスの登山家ジョージ・マロリーだ。(ちなみに、マロリーの言う山とは、当時誰も登頂を果たしたことのなかったエベレストのこと。)

Because it’s there.

人類未踏の地に立つ、ということは登山家にとって大きな目標であり、そこを目指すには当然のことだったのだろう。

では、登山家でも冒険家でもない私は一体なぜ山に登るのだろう・・?「命をかけても偉業を成し遂げたい。」なんて野望は持ち合わせてはいないが、山歩きがここまで自分のライフスタイルになったのだから、それなりの理由があるハズ。

自分の事なのに「ハズ」なんて曖昧だけれども、「好きに理由なんてない」と深く内省したことがないので、私の心を惹きつけている理由を挙げてみる。

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理由1.そのシンプルさ

多くのスポーツは、練習を積んで技術を身につけなければならない。サッカー、バスッケットボール、水泳・・。フギュアスケートやバレエなど芸術性があるものも然り。

山登りの良い点は、練習が必要な特別な技術がいらないこと。

もちろん、厳密に言えば、歩き方のコツはあるし、雪山登山などは話がまったく変わってくるが、「歩く」という行為を日常的にしている人が多いので、極論、それができれば登れる。

そして、

歩くことを止めなければ、山頂に到達することができるシンプルさが好きだ。

辛くても、しんどくても、自分の足を動かし続けさえすれば、必ず着くのだから。

理由2. 壮大な景色

10代、20代の時は、海外に見たことのない景色を求めていた。

恐いもの知らずだったあの頃、バックパックにはカメラと地球の歩き方を詰めて、海の向こうへと飛び出した。

そして、それがひと段落したころ、登り始めた日本の山で、私は壮大で美しい景色に出会った。

日本にも、こんな素晴らしい景色があったんだ・・・。

特別なものは、いつだって、「ここではないどこか」にあるものだと思っていた。

私が生まれ育った国にも、見たことのない景色はあったのだ。

遠くばかりに目を向けていたから気づかなかったけれど。

日本は、広い国ではないが、国土の70%は山だ。

山遊びを楽しめたのなら、実は、この国はワンダーランド。

理由3.ミニマルな思考になれる

例えば、旅行へ行くとしたらあなたのスーツケースには何が入るだろう?

私は、旅先で可愛い恰好がしたいから、洋服やメイク道具にアクセサリー、ヘアドライヤーは必須。あとは、お気に入りのパジャマ、おやつ・・

しかし、山で泊まる場合、話は全く変わってくる。

まず、衣食住の全てを持っていかなければならない。そして当然、自分で担ぎ上げられる分しか持ってはいけない。おのずと、必要なものだけを選ぶことになる。

私は、「少ない物で豊かに暮らす」という考え方に惹かれるが、普段の生活で中々実践できないのが現実だ。一人暮らしのアパートは入居当初こそ物が少なかったが、数年で多くの物に囲まれるようになってしまった。

しかし、山に行く場合、ミニマリストにならざるを得ない。

自分にとって、何が必要なのか。

       何が不必要なのか。

       何に価値をおいているか。

その選択を定期的にするということが、とても気持ちの良い作業になっている。

理由4.知恵を使って「できない」を変える

私は、体力がある方ではない。(トホホ)

腰痛と肩こりもひどい。(グスン)

長距離だと膝も不安で持病もある・・(涙)

挙げたらキリがないぐらい「できない」がある。

では、そんな私どうすればいいのか?

重いものが担げないのなら、装備を減らしたり、軽量化すればいい。

可能な限り身軽に出かけて、深く自然と向き合おいとするウルトラライトという考え方は、私を自由にしてくれた。

長く歩けないのなら、栄養学を応用して、摂取する食べ物や飲み物を工夫したり、自分に無理のないルート設定をすればいい。

パワージェルやサプリなどの力を使ったり、日帰りではなく泊りで行くという選択肢もある。

自然と深く繋がる=いかに高い山に登ったか、いかにハードな山行をしたかだけではない。こうしなきゃ、という自分の考えを少し変えてみてもいい。

ロープウエーやバスを利用するという方法もあるのだから。

そうやって、知恵を使って「できない」を少しずつ変えていく。

そんな工夫を凝らして、実践していくのは、おもしろい。

理由5.生き物として、本来の生活ができる

私は、山で美味しいものを作って食べることが大好きなのだが、本当に好きなのは、「お腹がすく」という感覚を味わうことなのかもしれない。

私は、普段の生活で、「お腹がすく」ことが少ないが、山登りでは、とてもお腹がすく。

汗を流しながら登っていると、身体が、塩分を、糖分を求めてる!エネルギーが必要だ!という状態になる。

そんな時に食べるおにぎりはやカレーライスは、そりゃあもう美味い。

山で食べるものには、「身体がこれを欲している」という理由があり「エネルギー源にするする」や「疲労回復をはかる」などの目的がはっきりしている。

普段の生活ではどうだろう。

きっと私は、「お腹がすいた」からではなく、「時間になったから」ご飯を食べている。

そして、私にとって食事は、「今日はエスニック料理を作ろう」「見栄えの良い料理を作ってみよう」などとある種の娯楽の要素が高いものになっている。

もちろん、それはそれで楽しい。

でもときどき、山に行って「栄養を摂取しなければ動けない」という状況に置かれご飯をたべると、生き物として本来必要なことをしているようで、とても気持ちが良いのだ。

生きるために食べる。

そんな感覚を味わえるから。

そして、山で泊まると、電気は貴重なので基本、暗くなったら眠り、明るくなったら起きることになる。

夜遅くまで、スマホを見ることもなく、デジタルデトックスにもなる。

自然のサイクルに合わせて動く。

生き物として本来の生活ができる気がするのだ。

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とまぁ、以上が私が山へ行く理由。

山頂を目指す「登山」だけでなく、山の中か麓を歩くトレッキング、「歩く旅」をするロングトレイルなどスタイルに囚われない野遊びを楽しみたい。

私が年を重ねるにつれ、山へ行く理由はいろいろと変わっていくかもしれない。

でも、きっと私をとらえて離さない魅力があせることはない。

時々、歩いている最中に「私ももっと・・だったらなぁ」という考えがよぎることがある。そして、自然の中でまで人と比べてしまう自分に気づく。

しかし、そういった部分もひっくるめて全部、私。

全てを抱えて、自分の選んだ道を、今日も歩いていくのだ。